神田コミュニティアートセンター構想とは

神田コミュニティアートセンター構想とは

概要

2012年10月、東京電機大学として創立以来長い時間、育成と創造の活動の場として培われたこの神田錦町に、この場所の意思を受け継ぎ、様々な意思と志を持った人々が改めて集い学ぶ新たな創造と育成の場をつくりはじめます。
本構想は、様々な創造、育成に関わる機関との連携により、参加する方々すべての中にあるクリエイティビティの連鎖を時間をかけて生成していく息の長いプロジェクトになります。この地に2017年に新たに完成予定の神田コミュニティアートセンター(仮)がより効果的に地域へと浸透し、地域の価値を上げていけるよう、この地に住み、関わる様々な人々と一緒にその時々の状況に臨機応変に対応しながら、人と人とが学び高めあうコミュニティアートの拠点として、継続的な活動を行っていきます。

1. 新しい表現のフィールドを創造する表現者を育成します

ジャンルや世代に拘らない新しい表現の実験場としてフィールド横断型の表現活動を推進し、現場でこそ育まれる新たな表現者の育成を図ります。

2. 神田の魅力をひきだし、これからの都市の発展の可能性を探っていきます

東京・神田を表現のフィールドとすることで、アーティストの活動基盤を形成するとともに、そこに関わる地域の人々の意識や課題をクリアにし、場所が持つ魅力をひきだし、磨いていきます。

3. 上記のプロセスそのものを共有継承し、様々な人が学びあうフィールドを形成します

地域との関わり、表現のあり方について様々な試行錯誤を重ねながら、時間をかけじっくりと醸成させていくことで、この地における文化の創造、育成の機能を確かなものとしていきます。


神田コミュニティアートセンター構想委員会

委員長:佐藤一郎(東京藝術大学美術学部教授)
副委員長:久保金司(神田学会副理事長)
副委員長:中村政人(アーティスト、3331統括ディレクター、東京芸術大学美術学部絵画科准教授)
委 員:角谷幹夫
 窪田憲子
 紅林公克
 堀井市朗
 堀田康彦
 ※50音順


コアメンバー

青木淳(建築家)
伊藤ガビン(編集者/女子美術大学短期大学教授)
江渡浩一郎(メディアアーティスト/ニコニコ研究会委員長/独立行政法人産業技術総合研究所研究員)
金島隆弘(アートフェア東京 エグゼクティブ・ディレクター)
菊地敦己(アートディレクター/株式会社菊地敦己事務所代表取締役)
小池一子(クリエイティブディレクター/武蔵野美術大学名誉教授)
桜井圭介(音楽家・ダンス批評家/「吾妻橋ダンスクロッシング」オーガナイザー)
中村政人(3331 Arts Chiyoda 統括ディレクター/東京藝術大学准教授)
日比野克彦(アーティスト/東京藝術大学美術学部先端藝術表現科教授/日本サッカー協会理事)
※50音順


メッセージ

青木淳(建築家)

建築的・組織的に独立したアートセンターが新しい価値を生む

アートセンターは使う人がどんどん手を入れて、レイヤーとして重なっていくことが可能な空間がいいですね。完成された空間というのは息苦しいものです。いくらでも変えられるということは、言い換えれば独立して建物が建っている状態。建築的にも組織的にも独立したアートセンターが新しい価値観を生み出し、「これがあるからあの街に行こう」と思わせるようなものにしたいですね。

1982年東京大学大学院修士課程修了。1983~1990年磯崎新アトリエに勤務後、1991年に青木淳建築計画事務所を設立。代表作に「馬見原橋」「S」「潟博物館」「ルイ・ヴィトン 表参道店」「青森県立美術館」など。著書『JUN AOKI COMPLETE WORKS 1: 1991-2004』『同第2巻Aomori Museum of Art』(INAX出版)他。2004年度芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞。

伊藤ガビン(編集者/女子美術大学短期大学教授)

自分で作れてずーっといられる場所があるといい

神田にいると自然と地元とのつきあいができ、職人さんとの共同制作のような機会も自然にできる場所の密着性を感じる。アーティストの場合、自分で場所をつくれる人でないとものはつくれない。そうした人たちが、ずっといられる場所にしたい。その場所に多ジャンルの人たちが行き交うことで自分にない技術を持つ人と出会えて表現の幅が広がる。これも大切です。

コンピュータホビー誌の編集者を経て、ボストーク株式会社設立。美術家としても活動。『パラッパラッパー』『動物番長』などのコンピュータゲームの制作などにも携わる。最新の仕事として、オンデマンドTシャツサイト「TEE PARTY」がある。女子美術大学短期大学部教授。

江渡浩一郎(メディアアーティスト/ニコニコ研究会委員長/独立行政法人産業技術総合研究所研究員)

さまざまなクリエイターが入り交じった新しい文化圏の創生

神田はもともと職人の町であり、薬品や素材の問屋街である。神田で仕事をしていると、自然と他の人との交流が起こる気がする。そんな職人文化を新しい形で作り直し、発展させるような場になるといいと思っています。アーティスト、研究者、デザイナー、ハッカー、作家、科学者、絵師、エンジニア、ミュージシャン、コーダー、そのようなさまざまなクリエイターが入り交じって新しい文化圏が生まれることを期待します。

1997年、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修了。2010年、東京大学大学院情報理工学系研究科博士課程修了。博士(情報理工学)。産総研で「利用者参画によるサービスの構築・運用」をテーマに研究を続ける傍ら、「ニコニコ学会β」の発起人/委員長も務める。おもな著書に『パターン、Wiki、XP~時を超えた創造の原則』(技術評論社)、『ニコニコ学会βを研究してみた』(河出書房)。

金島隆弘(アートフェア東京 エグゼクティブ・ディレクター)

プロセスの共有で新しいアートとの関係を築く

アーティストと話をしていると、彼らの考えていることの面白さをもっと活かすことが出来ると思うんです。最近「東京の右半分」に引越したのですが、前いた西側よりもあけっぴろげでむしろ居心地がいい。そんな場所で、もっと開放的でプロセスを共有していけるような新しいアーティストとの関係が構築できたらと考えています。

慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修了、ノキア社、株式会社東芝での勤務後、 2005年より北京にて現代美術の仕事に携わる。東京画廊+BTAPの北京スペースの運営、ARTiT 東アジア地区プロデューサーを経て現職。FEC代表。東アジアにおける現代美術のリサーチプロジェクト、作家の作品制作支援、交流事業等を手がける。

菊地敦己(アートディレクター/株式会社菊地敦己事務所代表取締役)

場そのものに魅力があるアートセンター

東京の街にこれといって不満はありませんが、ショーケースでしかない美術館というものにすごく嫌悪感を抱いてしまいます。さらに言えば、アートは好きですし、個別の作品には興味がありますが、アートシーンに対して興味が持てません。ただ、こうした嫌悪感を抱いている人たちは僕だけではないと思います。この嫌悪感を一蹴するような、魅力的なアートセンターが東京には必要です。

1997~98年現代美術のオルタナティブ・スペース「スタジオ食堂」のプロデューサーとして運営・企画を手がけ、2000年にブルーマークを設立。企業のブランディングをはじめ数々のグラフィックワークを手掛ける一方、展覧会の企画等にも携わる。2006年日本グラフィックデザイナー協会新人賞受賞。

小池一子(クリエイティブディレクター/武蔵野美術大学名誉教授)

信頼できるうつわとしてのアートセンター

潜在的な魅力を秘めたこの場所から、時代を超えたいいアイデアを推進できるコミュニティが生まれることに期待します。例えば、アート作品を購入する場はあるのですが、引き取ってもらえる場はあまりありません。信頼できる価値判断を備えたアートセンターがあれば、そこでアートの売買も、交換もでき、アートの勢いが強く、大きく一つになっていくのではないでしょうか。

1983~2000年、日本初のオルタナティブ・スペース「佐賀町エキジビット・スペース」創設・主宰。武蔵野美術大学美術資料図書館、鹿児島県霧島アートの森、BankART Studio NYKなど、 公私立の美術館への企画参加も多数。2011年より「佐賀町アーカイブ」として佐賀町エキジビット・スペースの活動と資料、作品コレクションを検証、展示し、語り、学ぶ、アーカイブをショーケース化するという新しい試みに着手。

桜井圭介(音楽家・ダンス批評家/「吾妻橋ダンスクロッシング」オーガナイザー)

自然なかたちで必然的に出会える“場”をつくる

最近のダンスシーンに感じることは、自分のジャンルに閉じこもっているのではなく、やはり領域横断的な環境が必要だ、というです。これはダンスに限らず表現全般に言えることですが。場所の雰囲気で人が集まり、会話が生まれるような、自然なかたちで普段会わない人たちと出会える場をつくりたい。例えば、風営法に引っ掛からないオールナイトのクラブとかね(笑)。

ダンスを始めとする上演芸術の批評、『吾妻橋ダンスクロッシング』やスペース『SNAC』などのオーガナイズ、また音楽家としてさまざまなパフォーマーとのコラボレーション等、あの手この手でパフォーミング・アーツと遊んでいます。

中村政人(3331 Arts Chiyoda 統括ディレクター/東京藝術大学准教授)

街の魅力へとつながる、クリエイティブな思考と活動の連鎖

東京では、いつもどこかで何かが行われています。しかし、さまざまなジャンルの人たちと話す機会は少ない。東京の真ん中で議論したり、思いをぶつけたりすることが必要だと感じています。それはつまり、つくるエネルギーを蓄えられる場所。あらゆるジャンルの人々がそこに集い、密度を持った思考が集まることで、新しい考えや活動が見えてくるはずです。そのエネルギーが街へ“トランス”し、街の魅力になるためのクリエイティブなプロセスを試みます。

「社会」や「教育」における美術の在り方を問いかけ、地域に活動の場としくみを生み出す実践を重ねるアーティスト。第49回ヴェネツィア・ビエンナーレ(2002年)日本代表。1998年よりアーティスト・イニシアティブ・コマンドNを主宰。2005年、アートスペース「KANDADA」(神田)での活動を経て、2010年に公設民営のアートセンター「3331 Arts Chiyoda」を立ち上げる。平成22年度芸術選奨文部科学大臣新人賞(芸術振興部門)受賞。

日比野克彦(アーティスト/東京藝術大学美術学部先端藝術表現科教授/日本サッカー協会理事)

異なることを認め合い、同じ風景を共有するコミュニティ

互いの価値観が異なることを認め合いながら、ともに活動することがコミュニティアートの基本原則。意見が統一化しないことは当然であると考えながらも、同じ風景を見ようとしていることがコミュニティにおいては重要なのだ。変容の中においても、これまで築いてきた既成概念にこだわらず、社会とコミュニケーションを取りながら変容し、継続していくことがポイントである。

1958年岐阜生まれ。1982年日本グラフィック展グランプリ受賞。1983年東京ADC最高賞受賞。1995年ベネチアビエンナーレ出品。1999年毎日デザイン賞受賞。2005年水戸芸術館・2007年金沢21世紀美術館・同年、熊本市現代美術館にて個展。2012年妻有アートトリエンナーレ・水と土の芸術祭に参加。種は船プロジェクト・明後日朝顔プロジェクト進行中。

佐藤一郎(東京藝術大学美術学部教授/神田コミュニティアートセンター構想委員長)

大学でのすべての教育研究活動が、社会との関わりの上に成り立つこ とを意識し、東京藝術大学ではこれまでに数々の地域連携事業を実行 してきました。私たちは、伝統と歴史を重んじつつ、現代の新しい文化 芸術を創造していきたいのです。江戸から続く神田の活性化を願い、芸 術を通した新しいコミュニケーションのあり方を地域のみなさんと育て ていきたいと願っています。

1946年宮城県に生まれる。東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻教授。油画技法・材料第一研究室。文化財保存学保存修復油画研究室の教授も兼担。

久保金司(神田学会副理事長/神田コミュニティアートセンター構想副委員長)

神田で生まれ育ち、そこで恋をして、働いて暮らし、やがて老いてこの街で死んでゆく。それが人間の幸福というものであろう。「街」には人の暮らしがなければならない、だからまちづくりはこの街の人々が主役でなければならないのです。「街は劇場」ともいわれますが、時代が変化し、舞台・役者が変われば観客も変わる。出会いがあり、別れもある。地縁が血縁ともなって、アメーバのように複雑にからみあいながら喜怒哀楽をすべて包み込んでくれる街。それが「わが街神田」です。

1935年神田生まれ、三代目の神田っ子。神田のタウン誌制作やまちづくり勉強会「神田学会」、神田川の浄化運動などを行い、それらの活動は現在NPO神田学会に引き継がれている。同会では、設立当初より副理事長を務める。

宮田亮平(東京藝術大学学長)

東京藝術大学は創立以来125年間、自由と創造の精神を尊重し、日本の芸術文化の発展に指導的役割を果たすことを基本目標として芸術教育研究の最高水準を維持し続けています。めまぐるしい変化を遂げる現代社会においては、芸術を発信し広めるとともに、その地域で醸成される双方向の関係の構築に加え、他分野との交流、そして国内外の芸術教育の研究機関との交流によって、伝統文化の継承と新しい芸術表現の創造を推進してまいります。

1945年新潟県に生まれる。金工作家。現在、東京藝術大学学長。日展理事、現代工芸美術家協会常務理事、文化審議会会長を務めるなど、各方面に活躍。